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空手 真心 真人間  空手仙人岸信行先生      不動武

 空手を身につけるという言い方もある。だけど、私は岸先生を拝見していると、ますます「原始化」しているような気がするのだ。
岸先生の前で、私が空手の特別な話などすると、
「それじゃ、あなた、空手じゃなくて、有り手だよ!」
と岸先生は言う。
ある日、アマゾンで農園を営む日本人の方の話があった。アマゾンの奥地で働いているため、空手の本に一冊しか、学ぶ材料がないという話だった。
岸先生は
「良いじゃないの。それで、空手なんて、もともと、その人自身に入ってるんだから。そんなの、回りに何百人いたって、空手はほとんど一人稽古よ」
と言う。
どうも、岸先生の空手道というのは、身につけるというよりは、削ぎ落として行くもののように思える。だから、有り手が空手になり、人間が真人間になり、心が真心になる。
空手は人種、国籍、政治、宗教を越えるとはよく言うが、岸先生の場合、その垣根を越えるというより、そんなものがなかった昔、遥かな原始に戻っていくような気がするのだ。
岸先生がニューヨークのど真ん中で、少し分かる片言の英語と生粋の山形弁で話していたという話は当時の弟子の望月忠氏から私も聞いた。
岸先生の空手の前に集まると、みんな、人間としてnaked(裸) になる。いや、nakedどころか、肌から色すら消えて行く、言葉も関係ない。
ニューヨークの本間雅彦先生が言う
「岸先生、ニューヨークに20年もいたのに英語駄目ですね。」
岸先生がやり返す
「英語上手くたって、お前、俺よりアメリカの女にもてないじゃないかよ!」
空手仙人は無邪気である。
空手の達人であったり、マス大山の直弟子だったという奢りなどない。
知人が悩んでいたら一緒になって半日悩んだり、泣いたりしている。
そうしながら、毎日、正しく人間らしく、幸せに暮らしている。
空手であり、真人間であり、真心である。
結局、極論すれば、岸先生は岸信行である以外になにもない。だからこそ、幸せなのだ。
空手というのは結局、たた人間であるという最大の幸せに至る道なのだろう。

岸信行先生

山形産の柿。
岸先生いわく
「人間も苦労してる内はその人は苦い。他人に食われないように、苦味で身を守ってるんだよ」
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